2018ロシアワールドカップ本戦を前に想うこと

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最近世間は、何だかんだと代表選出の話題で持ちきりでしたが、W杯を直前に控えてそんなこともどこ吹く風。大手メディアは、すっかり代表応援モードに移行してしまいました。

もちろん僕も日本代表を応援しますが、今回は、日本代表が4年前の「2014ブラジル大会」の教訓を生かし克服した上での「2018ロシア大会」の戦いというわけではないので、僕自身、今回に限って言えばグループリーグ突破は全く期待していませんし、奇跡を祈ったりもしていません。願わくは他国に笑われるような恥ずかしいプレーだけは見せないように頑張ってほしいというだけです。

例えば、キーパーがキャッチミスをしてこぼれ球をゴールに押し込まれるとか、味方同士の激突でこぼれ球を押し込まれるとか、不用意なもしくは危険なタックルでレッドカードをもらってしまうとか、敵への絶妙なパスで失点するとか、少ないチャンスをものにしたい場面で決定的なフリーのシュートを外してしまうとか・・・。そういうプレーだけは見せてほしくないと願っています。

代表選出に期待していたもの

さて、ブラジル大会において日本の敗戦に大きく影響したのは、決して戦術などではなく「個の力」だということがはっきりしました。具体的にはフィジカルの強さであり、シュートへの意識であり、そしてシュート精度の問題でした。選手目線からは違うことを感じているのかも知れませんが、少なくとも「サッカーを知るファン」にはそう映ったのではないでしょうか。

先日、Twitterで長友選手の「サッカーを知らない人」発言がありました。その真意は分かりませんが「サッカーを知る人」から見ると、今回の代表選出では上記の課題に対して対応できている選手がより多く選ばれたかというと大いに疑問が残るのです。サッカーファンが思っていることの本質は、実は年齢のことではありません。「底が知れた」とか「秘めたる可能性」のことを問うているのであって、これに対して期待できるとか出来ないとか言っているのです。

ブラジル大会に出場した選手は、胸を張って実際に体験し感じたその課題を克服し、今大会に臨んでいると言えるでしょうか?僕たちサッカーファンはそれを日本代表に期待しているのです。だからこそ、もうその可能性がない底の知れたベテラン選手よりも、秘めたる可能性があり、さらに各リーグで実際に結果を残している若手選手のプレーを日本代表の中で見てみたいと多くのファンが感じているのです。そして、そこに将来の強い日本代表の未来図を描いて期待するのです。可能性のないものに望みを託す人などいないのです。

日本代表の現実とファンの理想のズレ

考え方のズレという観点からは、僕は次のように考えています。日本代表に関係する人たちは選手だけでなく、スタッフや首脳陣を含めて、集まったメンバーで何が出来るかを真っ先に考えます。言わば現実主義者です。一方で僕たちサッカーファンは監督選びや監督によるメンバー選考、戦術・結果を含めて日本代表という存在がこれからどのようになってほしいかということを考えています。言うならば未来志向の理想主義者です。

日本代表選手は選ばれた側の人間ですから、立場上、日本サッカーのあるべき姿を考える存在ではなくなってしまい、先のとおり、自分たちに今何が出来るのかを第一に考え、そしてそれをどのように実現させるかといった具体策を考えるようなります。これは当たり前です。会社で言えば、選手は実務を行う従業員と同じ役割を持っています。

一方、サッカーファンは会社に例えて言うなら経営者の側面を持っています。本来は最も現実主義者であるべきはずの経営者ですが、実際の経営者は残念なことに、絵に描いた餅が大好きな理想主義者や後先考えない独善的な人が多いと思います。そのため、現場の人間と経営者の間には理想主義と現実主義の相容れない対立が必ず生まれます。

先日の代表選考試合(ガーナ戦)において、経営者目線を持っているファンから仮に「香川は使えない」と思われていたとしても、本人にはやる気もあれば自信もあり、さらには過去の実績も十分で、また直属の上司である現場の監督からも「彼はチームに必要な人間だ。彼の代わりはいない。」とまで言わせたのも事実です。

さて、現場と経営者、どちらの考え方が正しいでのしょうか?答えを真っ先に行ってしまうなら「どちらも正しい」と言えるでしょう。しかし、このように片づけてしまうと話はそこで終わってしまい、「で?」となってしまうだけですので、もう少し突っ込んだ話をしてみます。

ファンが望んでいるもの

どちらも正しい考えをしているのなら何がそれぞれの考えの齟齬やわだかまりを生んでいるのでしょうか?ある選手をファンは絶対的な選手だと思っていないのに、現場の監督は唯一無二の存在で代わりになる者がいないと言います。「絶対的な選手ではない」と「唯一無二の選手」は真反対の意味です。なぜこのように根本的な違いが生まれるのでしょうか?

おそらく、それは目指しているもの基準の違いだと僕は考えました。

では、経営者目線で見ているファンが求めているものの基準は何でしょうか?見方はそれぞれですが、僕から言わせてもらえるなら、その基準のひとつは「結果」であり、もうひとつは「将来の展望」にあります。経営で言えば利益がどうなったか?企業の将来性はどうか?を見ているということです。

実際のW杯なら、決勝トーナメント進出という結果が得られたか、それらが仮に得られなかったとしても未来へつながる希望の光を見つけることができたかということを基準にします。実際に決勝トーナメントに進出できたなら日本代表は正しい道を選択したのだということが証明できると言えるでしょう。決勝トーナメント進出という目標は一見小さな目標のように聞こえますが、現時点で日本のベスト4とかW杯優勝は非現実的なので今回の場合は十分大きな目標です。

リトルのビッグマウス

中にはW杯優勝を口にするリトルなのにビッグなことを言う代表選手がいますが、これは駄目です。選手こそ現実主義者であるべき存在なのに、目の前の1勝をさておき優勝とは「バカも休み休みに言え!」と言われるのがオチです。しかし、もしかすると、彼はそのことを先読みして休み休みにバカなことを言っているだけなのかもしれません。あるいは、彼の中にいるリトルがビッグマウスを叩いただけだから、「小さいもののビッグ=リトルビッグ≒普通」ということで、彼にしてみれば「普通」のことを言ったに過ぎないのかも知れません。

また、ビッグマウスにはビッグマウスなりの考えがあるのでしょうが、世間はそれを屁理屈や戯言と言って嘲笑するだけです。また、優勝は実現しないことなので、日本のサッカーを真剣に考えている人にとっては非常に不誠実な物言いと受け取られかねないです。優勝経験豊富なドイツやブラジルの選手でさえ口にしない大きな目標を大した実力も実績もない選手が言うのは絶対に控えたほうが良いです。いずれにしても彼の「言動」と「のびしろ」は計測不能です。

とにかく、ファンは結果を求めています。ビッグマウスはそれ相応の結果を出さなければなりません。優勝を口にするならバロンドールの候補に選ばれるぐらいでなければなりません。代表に選ばれる自信があるというならクラブチームでも代表でもたくさん得点を取るなり活躍しなければなりません。ディフェンスの選手ならばクラブチームで絶対的な信頼が得られるプレーをし続けなければなりません。何より、出場した試合に勝たなければなりません。

僕が今日本代表に目指してほしいと思うことは、具体的に言うなら世界ランキング15位以内です。W杯の組み合わせ抽選で言えばポット2に入る実力を付けることです。これでようやくベスト16が当たり前と思われるようになり、あわよくばベスト4という目標が見えてきます。日本代表は、3大会後ぐらいにこのあたりを目指してほしいと考えています。

選手が目指しているもの

一方、選手が目指しているものはそんなことではありません。ビッグマウスを筆頭にほとんどの選手は自分の「個の力」をどこまで高められるかを考えていて、あわよくばそれが代表のサッカーにうまくはまり、そして活躍できればと考えていることでしょう。これは選手からしてみれば当然です。日本にはメッシやクリロナのように「個の力」だけで得点したり流れを大きく変えたり出来るスーパースターはいないので、どうしても自分と同じように努力している人や自分より「個の力」が上回る選手が出来るだけ多く集まった代表の中で、それぞれの個性が生かされるサッカーを追い求めていくというような形になってしまうのだと思います。

そうなったとき、監督の戦術が自分たちの想像していたサッカーに合致しなければ、やりたいことも出来ず不満も出るでしょうし、そのことでモチベーションを失うこともあるのです。このように、かわいそうですが選手個人は自分の思いどおりのサッカーは出来ないものなのです。まさに会社の従業員そのものです。だからこそ、「個の力」を最大限に高め、いつでも上司が自分に任せてくれる準備をする以外やりようがないというのが現実なのだと思います。実際に、今回選ばれた代表はそのようにして上司に選ばれたのですから、選手に罪はありません。

考えの溝を埋めるためには

このように、実際に日本代表の中にいる人間と周りの人間は目指しているものや見ているものの基準が違っています。だから、そこに考え方の違いが生まれて噛み合わなくなることがあるのです。日本を強くしたいという共通の想いはお互いに持っているものの、そのベクトルの向きや太さが異なっているのではないかと思っています。

例えるなら、日本代表は日本代表という動かぬ風船の中で各個人が出来るだけ高く飛び上がろうと努力しています。一方、ファンはそのこと自体には興味がなく、日本代表という風船全体を世界レベルまで大きく膨らませたいと考えているのです。要するに、ファンの方がよりマクロの視野で日本サッカーを観ているということですが、実現可能性を考えた場合にはその考えには疑問も残ります。

「言うは易く行うは難し」ということです。選手に言わせれば「じゃあ、お前がやってみろ!」と言いたいところでしょう。だから、会社と同じようにおそらくこの溝は埋まることはないでしょう。また、サッカー先進国である南米やヨーロッパの国々のファンと代表の関係が今の日本のそれと変わらないことを考えれば、いくら日本がサッカーの歴史を刻んだとしても、やはり将来においてもこの溝は埋まらないというのが正しい見方ではないでしょうか。

まとめ

日本代表は日本国民の代表であるという自覚を持たなければなりません。後ろには日本国民がついていますが、味方に付けるも付けないも選手自身の行い次第です。だから不用意な発言は控えなければなりませんし、ファンを見返すだけの結果を残していただきたいものです。それが出来なければ謙虚であるべきです。本戦までに行われるスイス戦とパラグアイ戦を見届けたいと思います。

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