統計学的に人間性の高い低いを考える

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人は年齢を重ねるごとにその人間性が高まっていき、優れた人格を持つようになるものとその昔僕は考えていました。しかし、社会人になって人と接する機会が増え、長期にわたって人を観察してみると、人間性とはそうものではないということに気付いてしまったのです。

人間性の成長は二十歳前後で頭打ち

一定の年齢を過ぎた後、もうその人間性の成長は頭打ちになってしまいます。どこまで自分の人間性を高めるかは日々の自分の行い次第だと思いますが、それも高校生か遅くとも大学生ぐらいまでに自分の将来の人間性に気が付いて行動に移してこそ自分の潜在的な人間性を最大限まで高められるものと考えています。こうして人が一定の年齢に達したとき、その人間性はほぼ固定化され、高い低いが浮き彫りになり、年を追うごとにそれは動かざるものとなってしまいます。

そもそも人間性は他人による客観的判断によるものであり、それは人の言動を見聞きして各々が判断するものです。そのため正しく測る方法や基準はありません。しかし、組織や集団といった人がたくさん集まるところでは、周辺に比較対象が増えるため個々の人間性の高い低いが浮き出て見えるようになります。そのとき、極端に人間性の高い人と極端に低い人の割合は少なく、たいていの人は普通の人間性を持っていると感じることでしょう。このことから、人間性の高い低いの割合にも統計学で言うところの正規分布が成立しているような気がしているのです。

まずは正規分布を簡単に理解する

僕の視点はちょっと変わっていますが、仮に、このような推定をして統計学的に人間性の分布を考えてみたいと思います。しかし、その前に正規分布というものが何を意味しているのかについて知っておく必要があると思いますので、概要が分かる程度に簡単に解説しておきます。

もし、正規分布を理解しようとするなら、日本人の身長の分布とか偏差値とかIQテストの結果などを思い浮かべると良いと思います。簡単に言うなら中間層が多く両極端な存在ほど少なくなっていくような分布のことです。下の図を見てください。

この図で大事なのはその分布です。68.3%や95.5%と書かれている割合のことです。何故なら正規分布が成り立つということは、データがその決められた割合で分布しているということだからです。

ここで正規分布を考えるときにそのグラフの形以外に一つだけ覚えていただきたい言葉があります。それは「σ(シグマ)」というものです。日本語では「標準偏差」と言ってばらつきを表す指標になっています。上図の赤い縦線の幅ひとつ分が1σ(いちしぐま)で、タイトルのところに標準偏差σ=15と書いています。

上図では中央値が100です。σ=15なので、100を中心として左右に15ずつの幅85~115までを2σ(にしぐま)と言います。全体の68.3%がこの範囲に入ることを表しています。同様に70~130までを4σ(よんしぐま)といい、この範囲には95.5%の人が入るということです。つまり、IQテストを受けた人全体の95.5%がIQ70~130の範囲に収まっているということを表しています。だから、あなたがもしIQ140の持ち主であれば、それはちょっとした希少な特別な存在と言えます。ちなみにメンサの入会テストはIQ140がボーダーラインとなっているそうです。

このように中央に近いほど多くの人が分布し、外に行くほど稀な存在になる。そして、その割合が大体決まっている。それが正規分布です。

人間性が高い人低い人の分布

さて、何となく正規分布のことが分かったところで本題に入りたいと思います。僕は、ある集団のメンバーの人間性の分布がほぼ正規分布になっていると考えています。そして、人間性のレベルを仮に次のように分類します。

  • お釈迦様
  • 優れた人格者
  • 尊敬に値する人
  • 普通の人
  • 徳がない人
  • 軽蔑に値する人
  • 極悪人

上に位置するほど人間性が高く、下に行くほど人間性が低いということにしておきます。人間性が高い人は、言い換えれば徳が高いとも言えます。これをグラフにしてみると次のようになります。

山が高いところはそこに該当する人が多いということです。普段あまり皆さんが考えないことですが、人間性の分布をグラフ化して見えるようにしてみました。

人間性の割合はこんな感じ

上記のグラフには数値を入れていませんが、あえて割合を書き入れてみると下記のようになります。しかし、人間性をどのように感じるかは人それぞれですから、細かい数値のことは気にしないでください。ざっくり区分すると、だいたいこのような感じで分布しているということを言いたいだけです。

  • お釈迦様(0.1%以下)
  • 優れた人格者(2.3%)
  • 尊敬される人(13.6%)
  • 普通の人(68.2%)
  • 徳がない人(13.6%)
  • 軽蔑に値する人(2.3%)
  • 極悪人(0.1%ぐらい)

上記の割合を見ても、皆さんが普段から感じているイメージと遜色ないのではないでしょうか。特に尊敬もできないけど徳が低いとも思えない人が大体70%ぐらいいます。「ちょっとだけ徳が足りない人」から「もう少しで尊敬されそうな感じの人」までをイメージするとほとんどの人がここに該当します。

ただ、ひとつ言っておくと、「尊敬される人」とはいわゆる自分の父親のように個人的な尊敬の対象のことではありません。また、歴史上の偉人やビジネスで成功を遂げたような人、例えば坂本龍馬とか野口英世とかスティーブ・ジョブズとかビル・ゲイツような人のことでもありません。そうではなく、実際に接したより多くの人から人として尊敬される人のことを表していると思ってください。スティープ・ジョブズは先見の明があった経営者として尊敬されているだけであって、その人間性は尊敬の対象ではありませんよね。そういう意味です。

お釈迦様も極悪人もほぼいない

この世の中には、いわゆるお釈迦様のようにすべてを悟り、すべてを許すような完璧な徳の持ち主はいません。ものの例えとして「あの人はお釈迦様のような人だ」と言うことはあったとしても、その人はすべての人に対してお釈迦様のような人ではないでしょう。一方、極悪人はいますがそれでも割合からすればほとんどいないと言ってもいいでしょう。

皆さんの周りにお釈迦様のような人はいらっしゃるでしょうか。いるとすればあなたは非常にラッキーな方です。あなたは大いにその方の影響を受けると良いでしょう。今からでも遅くはありません。お釈迦様に学んで人間性が高まらない人はいません。僕も是非とも出会いたいものです。

一方で、周辺に極悪人がいるならあなたは超アンラッキーです。すぐにでも逃げ出してください。その人から学ぶことはありません。極悪人は反面教師にすらなりませんので、出来る限り距離を置くようにしてください。反面教師になり得るのは、「軽蔑に値する人」までです。

統計学的に人間性を考えた理由

なぜ僕が「人間性を統計学的に」といったおかしなことを考えたかというと、それには理由があります。冒頭にも書きましたが、その昔、人は様々な経験をすることで人生を学び、徳を積み、どんどん人間性が高まっていくものと思っていました。だから、お年寄りほど人間性が高いという先入観を持っていたのです。しかし、小さいころからの自分自身の人間関係を振り返り思い返してみると、歳を重ねるほど人間性が高まるという考えは幻想だということに気付いたのです。そして、よくよく思い返してみると、人間性は割と若いうちに決まってしまうものなのだということにも気付いてしまったのです。社会人ともなると、みんな十分な大人です。その人間性はほぼ出来上がってしまっているのです。

決定的な理由となったのは、社会的地位が高い人の人間性が意外に低いということを感じるようになり、社会的地位と人間性には正の相関がないどころか、負の相関があるかもしれないと考えるようになったのです。

負の相関というのは、社会的地位が高いほど人間性が低く、社会的地位が低い人ほど人間性が高い傾向にあるという意味です。もちろん例外はあるものの、人間性が低いと考えられるサイコパスがCEOや弁護士などに多いことを考えると、社会的地位と人間性にはやはり負の相関があってもおかしくはありません。

みんなの手本となるべき人間性を持ち合わせている人が人の上に立つべきと思っていたのですが、それは叶わぬ夢であるという現実を思い知らされ、幻滅したところからこのことを考えるに至りました。いずれ、経営者の人間性に関する記事でも書こうかと思っています。

まとめ

社会的地位が高い≒高収入とすると、収入の多い人も人間性が低い傾向にある可能性が考えられます。誤解がないように言っておくと、仮に相関があったとしても相関の強さにはレベルがあり、相関が弱ければ例外も多いということなので、全ての社会的地位が高い人や高収入の人の人間性が低いと言っているのではないことに注意していただきたいと思います。いずれにしても、人間的に尊敬が出来る社会的地位の高い人は意外にも少ないのではないかということを僕は感じています。

一度、皆さんも周りを見渡してみて、経営者の人間性などに着目してみてください。いかがでしょうか?

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