おっす!オラ、玉打強(たまうちこわし) その3

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「さとうえいすけ」は9歳の息子と5歳の娘を持つ子煩悩なパパだ。今年で44歳。後厄も終わって今は精神的な安堵感があり、一家の大黒柱として充実した日々を送っている。

しかし、そんな日々がいつまでも続くとは「えいすけ」自身も思ってはいない。新しいものは必ず古くなる。年々体力が衰えていくのを感じており、成長の急こう配を駆け登る子供たちの体力に、近いうちについて行けなくなっていくことに焦りを感じ始めていた。

いつまでも力強いパパでいたい。一度で良いから「パパすごいね?」と言われたい。仕事で認められない分、承認欲求が人一倍強い「えいすけ」はそんな子供の言葉に期待しつつも、その報われない仕事に追われる毎日で、自分のために運動をする時間的余裕などほとんどない。せめて休みの日だけは子供たちの相手をして体力を維持したい。そんな思いから今年に入って「えいすけ」は一大決心をし、出来る限り子供の遊び相手をするように心掛けた。

実は、これが周りからは大変子煩悩な父親に見えて、近所の若いママさんたちからの評判がすこぶる良くなった。そんな評判に「えいすけ」は悪い気などするわけもなく、むしろそれがモチベーションとなって、以前よりももっと子供の相手を積極的にするようになった。一見、まじめそうに見える「えいすけ」だが、頭の中はスケベ心で溢れかえっていた。そして、決して実現することのないおバカな想像までするようになっていた。

そんなある日、いつものように子供の相手をしていた「えいすけ」に向かって、5歳の娘が「逆上がりがしたい」と言い出した。逆上がりといっても鉄棒ではなく、両手をパパに持ってもらって、その場で「くるんっ」と回るあれである。「えいすけ」は2児のパパであり長男の時にもよくやったので慣れたものである。手の持ち方を間違えると子供のひじがねじれるから危ないということもちゃんと理解している。娘は5歳にしては体が大きく、骨格もしっかりしている。だから、ひじがねじれるなど心配には及ばないことかもしれない。握った娘の手にも力強さを感じる。しかし、体重がある分、飛び上がるのは少し苦手だったようだ。

長男の時と同じように、最初はパパの体に足を掛けてゆっくり登って「くるんっ」と回っていた。そのうち慣れてきて、「えいすけ」が持ち手を上に引っ張り上げるようにアシストしてあげると、まもなく「ぴょん、くるんっ」と飛び上がるようにして宙返りが出来るようになった。「えいすけ」は我が子のセンスの良さに感心しつつも、今度は自分の力で飛ぶように促した。

「せーのっ!」「バシュッ!」それは突然に起こった。娘の右足のつま先が「えいすけ」の魂をこね繰り上げた。一瞬にして辺りが闇に引き込まれ、「たまうちこわし」がやってきた。ここで手を離せば娘にパイルドライバーを食らわすことになる。意識が朦朧とする中、舌を上あごに強く押し付けて、「あることをないことにしよう」と念じた。娘の両足が着地するのを見届けると、その体は「たまうちこわし」に完全に支配され地面に崩れ落ちた。

固く目をつぶり、「んぁー、んぁー」と言葉にならない声が漏れる。異変に気付いた娘は「パパ、どうしたの?」と心配そうに見ている。娘はまだ5歳。しかも女の子。一刻を争う状況の中、「たまうちこわし退散の儀」など知る由もない。しかし、奇跡が起きた。

いつものパパとは違うそのもがき苦しむ怪獣のような姿に、娘はお兄ちゃんと一緒に毎週見ているウルトラマンの勇姿を自分に重ね、どこであろうがとにかくその怪獣をひたすら蹴った。意外にもきれいなインステップキックになっていた。「たまうちこわし」は腕を蹴られている。蹴られ損だ。「たまうちこわし」は隙を見て素早く身を翻し、腰を娘に差し向けた。これが良かった。15・16・17・・・「おりゃ!おりゃ!おりゃっ!」と何発ものキックを腰に食らった。

やがて「たまうちこわし」の姿が薄れ始め、体から抜けて行くのを感じた。神聖さには欠けていたが、結果的には若干5歳の娘が「たまうちこわし退散の儀」を行った。自分を取り戻した「えいすけ」は娘に感謝するとともに、近所のママさんに対する下心を反省した。きっと神様はやましい心を起こさせないように、不能にされようとしたに違いないと。神様はいつも僕たちを見ている。悪いことをすれば必ずばちが当たる。信心深い「えいすけ」はすぐに神棚の塩とお水を換えて祝詞(のりと)を奏上した。「えいすけ」の改心を祝うかのように、今日の柏手(かしわで)はいつも以上に良い響きがした。

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